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私たち日本人は、森に守られて暮らしてきた。
数十年前までは、水がスーパーで売られるなどとは思ってもいなかったはずです。
特に日本人は、水と空気は“ただ”という感覚で無意識に使い生活してきいました。しかし、最近では水質汚染や温暖化という言葉も耳慣れた言葉になってきたほど、深刻になってきています。
「あなたが使っている水は何処からきたの?」と聞かれて何人の人が正確に答えられるでしょうか。たぶん「山や森林」と答えるひとは稀でしょう。それほど日本人にとって「水や空気」のきれいさは当たり前のことであって、水道をひねればすぐに飲める水が出ると思っているのです。
皆さんも一度は飲んだことのある湧き水。長い間雨が降らなくても森林から途切れなく湧き出してくるのを不思議に思ったことはありませんか。地上にある全ての水のもとは、雨。森林はこの雨を葉などでやさしく受け止め、地面を傷めることなく樹木と大地で相当量の水を蓄えながら、湧き水として地上にしみ出させています。このように水の出をコントロールしてくれる働きが“緑のダム”と呼ばれるような森林の機能の一つです。又、地球規模で大問題になっている“地球温暖化”。木材生産を目的とする人工林は、二酸化炭素の吸収・固定源として今、大変期待が寄せられています。というのは、若い森林は、沢山の二酸化炭素を吸収し酸素を出して成長するからです。ピークを過ぎた老木は二酸化炭素吸収速度が小さくなり、蓄積量があまり増えません。
このため林業で行われているようなピークを過ぎた木を伐採し木材として利用、再び植林することで、大気中の二酸化炭素を積極的に吸収・固定できます。
その他にも、土砂が流失したり崩れるのを防ぐ働きがあり、これらの森林機能を「森林の公益的機能」と呼んでいます。それらの様々な機能のある森林を、私たちの祖先は大切に守り、森林を減らさないよう努めてきたのです。



「持続可能な森林利用」 人工造林「植林」の始まりは文明元年(1469年)
私たちの住んでいる日本列島の森林率は今67%、その内人工林(植林)は4割です。その7割を若い木が占めています。
さてこの知恵の産物「植林」いつから始まったのでしょう。
「植林」の歴史は古く、人工造林の始まりは文明元年(1469年)静岡の天竜地区犬居町の秋葉神社での植林が最初とされています。その後豊臣秀吉の大阪城築城により大阪をはじめ、各地の都市の発達によって木材の需要が高まりました。人々は山を開墾し田畑を増やし木で住む家を建て、森は切り尽くされ森林資源は時代と共に衰えていくかに見えました。しかし、江戸時代の元禄初期に、未来を見据えた木材供給、治水、生活保護林として吉野杉の人工造林「植林」が奈良吉野で始まったのです。
先人達の森への偉大な知恵(伐ったら植えるの「植林」)は受け継がれ、明治の初めには九州から東北まで人工林が広がっていました。今で言う「持続可能な森林利用」が根付いていったわけです。
日本の林業はこうして、資源の必要性から“植林が発明”されたわけです。しかし、森林は今大きな危機に立っています。




日本の木を沢山使うことが 世界の森林保護につながる。
戦後日本各地で人工林造りが盛んになりました。なぜなら、戦争中や戦後の大量木材伐採などで日本中の山が荒れていたからです。山に森林を取り戻し、加えて将来の木材需要に応えていこうと山村地域の人々の努力で戦後山がよみがえったのです。その後、高度経済成長で山が切り開かれ、レジャー施設や宅地に変わり、木材が大量に消費される時期があったのにもかかわらず日本の森林率は67%と戦後とほとんど変わっていません。
しかし、森林は今危機に立っています。それは木材輸入が完全に自由化され、安価な輸入材に大きく頼るようになったこの数十年の間に林業は荒廃し、戦後一斉に植えられた木が40~50歳に成熟し、良質な建築材に仕上げるのに必要な「間伐」を施されないまま放置されているのです。このままでは、せっかくの森林資源が利用可能な材に育つ最後のチャンスを失いかねません。それに伴い山の荒廃は、直接的・間接的に人々の暮らしに影響してきます。手を入れられない人工林は、災害を誘発してしまうかもしれません。
日本のこのような状況は、森林破壊に悩む世界の国々から見れば贅沢なことかも知れません。解決策は簡単なことなのです。あなたが日本の、そして世界の森林保全にできることはきわめてシンプル。日本の木を沢山使うことなのです。
幸いなことに日本の林業は、間伐で質、量をコントロールして木材を造る技術が世界一と言ってもいいくらいに達しています。私たち森林に携わる人たちは、さらなる効率化を図り輸入材に負けない安価で安定した木材の供給と国土保全に努めたいと思っています。